12/8に青森の。約80キロ沖合で、とんでもなく大きな地震が発生した。たまたまアメリカ時間の同じくらいに、何気なくスマホを見ていて「ギョッ」とした。このタイミングでこのブログを載せるのに、ちょっとためらいを感じたが、このセブ島の体験があったから故に、今回の東北、北海道で起きた地震の怖さを真に感じた。頭ではわかっていたつもりだが、実際にこのような地震を体験するとわかる。冷静なつもりでも実は冷静ではない。そして何かあった時に、すぐに持ってでれる「非常事態用の避難バッグ」を用意しておくことの大切さを、本当に感じた
それでは、私が体験したセブ島での大地震について、お話させてもらおう。
私達の飛行機は2時半出発なので、ホテルを11時(23時)に出ることにしようと、なぜかこの時はGrabではなく、ホテルから出してくれる車を頼んだ。Grabで行けば300ペソ位で行けるのだが、ホテルの車だと900ペソかかる。でも夜中だし、ホテルからの方が安全かなぁということで、Grabではなく、ホテルの車にしたのだ。これも本当にラッキーな選択だった。
夕飯も食べ、念願のハロハロも食べ、じゃぁ出発まで部屋でゆっくりしようと部屋に戻ったのが9時(21時)位。部屋は17階である。まだ2時間位あるが、スーツケースもバックパックも開けずに、それこそスマホのチャージもせずに、出かける格好のままベッドに横たわり、TVをみながらウトウト・・・
すると、ドスン!と下から突き上げるような大きな衝撃を感じた。一瞬それがなんだったかわからなかった。とにかく今までに経験したことがないような突き上げる衝撃。その衝撃の直後に部屋が左右にグラグラと揺れ始めた。「Earthquake!」と私が叫ぶと、旦那くんは床にしゃがみ、ベッドをつかみながら「Oh God!Oh God!」とパニックっている。マグネチュード6.4の大地震だ!
ホテル内には非常ベルが鳴り渡っている。非常訓練でよく聞くやつだ。でもこれマジなやつ!
取りあえず避難だが、私はその前にトイレに行きたかった。こういう時は慌てずに、しかし敏速に行動だ。トイレに入った私を見て、外に出なきゃ!と叫んでいる旦那くん、いやいやおしっこさせてくださいな。
トイレから出て、バックパックを取り、旦那くんと顔を見合わせ・・・スーツケースも持って行っちゃう?って。これね、きっと本当はダメなやつ。っていうか絶対にダメなやつ。でもスーツケースを持って、廊下に出ると・・・うわっ!床に散らばるガラスの破片。幸い通路には装飾品とかがあまりなかったので、ガラスの破片が一面という感じではなかったが、いやいや、ヤバイ、これはヤバイ!

旦那くんは何を考えていたのか、エレベーターに向かう、私は「ダメ!階段!!」と叫ぶ。非常口のところにヘルメットを被ったホテルのスタッフが「こっち、こっち」と誘導している。17階は私達しかいなのか、誰も部屋から出てこない。それともまだ部屋に居るのであろうか?
非常階段から降りる、不幸中の幸いで、シーズンオフだったから宿泊客は全部屋数の30%程度。非常階段も混みあうことなく、他の宿泊客も、所々に立ち声をかけてくれるホテルのスタッフの誘導で押し合う事なく、順番に降りていく。体の大きい人や、高齢の人は大変である。まさかこんな非常事態に巻き込まれるなんて思ってもみなかっただろう。途中で息が切れ、足が動かなくなって立ち往生してしまってる男性もいた。手を貸す人も居たが、大丈夫だ、といってがんばって手すりをつかまりながら、また降り始めた。本当に火災が起きなくてよかった、これが煙が充満している階段だったらどうなっていたのだろう・・・
旦那くんと私はシニアながら、日ごろから身体を動かしたり、ジョギングしたりしていたので、17階からスーツケースを抱えて降りても、全然大丈夫だった。日ごろのエクセサイズが役に立った。いやいや、そんな事を言っている場合ではないのだ。私達は実に迷惑な奴だったと思う。今考えると、本当に申し訳なかった。幸いにも、スーツケースで道をふさぐような事はしなかったし、荷物をもっているからと、もたついたりはしなかったが、これで人に迷惑をかけるような事でもあったらと、自分達が取った行動にゾッとする。
ホテルの建物の外が宿泊客、従業員の一時避難所となっていた。まず、この大地震が起きたのが、シーズンオフで良かった。ホテル側も宿泊客をまとめられる位の数である。


とにかく、ホテルのスタッフだってびっくりだったと思う。いくら万が一の場合に備えていても、実際に起きるのと、避難訓練ではやはり勝手が違う。中にはパニックを起こして呼吸困難になってしまっていたスタッフさんもいた、他にも救急隊の介助が必要とされる人もいた。
多分21階のプールに居たんだろうと思われる、二人の女性は、裸足にバスローブだ。隣に居た女性は、数分前にチェックインして、部屋でくつろいでいたと、パジャマ姿である。
もしかしたらマッサージを受けていた人もいたかもしれない、そうするとスッポンポンでガウンを着た状態である。
ホテル内には何店舗かレストランが入っているが、どこからも出火はなかった。
Bai Hotelはものすごくしっかりとしていた。スタッフも連携して行動している。レストランやBarがある1階は、ロビーの装飾品や、お酒の瓶などがきっと散乱して大変なことになっていたのではないだろうか?しかし非常口は1階の外に出るので、ホテルの中の様子は全くわからなかった。もしロビーやレストランがガラスや装飾品などで散乱していたのを宿泊客が見たら、きっとパニックになってしまい、もっと大変だったのではないかと思う。
私達は、今日はもう日本には戻れないかもしれないと思ったが、ダメもとで、エアポートまで車を手配してあったんだけど、この状態では無理ですよねって聞いてみた。エアポートだって地震でどうなっているかわからないし、まずエアポートまで行くまでにセブ島とマクタン島を結ぶ橋を渡らなければならない。その橋だってどうなっているかわからない。そしてこんな非常事態に
自分達の帰路の事だけを心配していた自分達を、今更ながら恥ずかしく思う。
もしかしたらホテルに居た方が安全だったのかもしれないが、私も旦那くんも気が動転して、その時は落ち着いて考えているつもりだったが、今思えばとんでもなく自分勝手な事しか考えていなかった。本当に、本当に今思えばなんだけど、大変申し訳ない事をしていた。スーツケースを持ったまま17階から階段で降りたり、空港までの車は当然無理だよね?なんて聞いちゃったり。本当にとんでもない奴らだと思う。
ダメもとで聞いたけど、状況を考えたら絶対に無理だと思っていたのに、なんと車が5分もしないうちに用意された。それもめっちゃ綺麗な車が・・・もうVIP扱いのようだ。
運転をしてくれるホテルのスタッフは、今さっき起きた大地震の事を感じさせないくらい、超普通である。アメリカや日本じゃ絶対ないと思うが、回りを見渡すと、誰一人パニックになったり、発狂したり、泣きわめいたりしていない。なんだろう?まだショックで事態が把握できていないのかもしれない。
車が走りだして、5分もしないうちに、大粒の雨が降りだした。うわぁ~ホテルの外に避難している宿泊客は大丈夫だろうか?車の外を見ると人々はもうすでにビショビショに濡れてしまっている。
あれだけ絡まりながら、手を伸ばせば届いてしまいそうな電線も、発火することなく、というかどこからも火の手は上がっていないようだ。電気を失って街は真っ暗である。
心配していた橋も、なんの交通止めもなく結構スムーズに空港に向かう事が出来た。
空港に着くと、建物はまだ閉鎖されており、人々は外で待っていた。なんとこの時はさっきまでザァザァ降りだった雨が止んでいた。
なんのアナウンスメントもなく、飛行機が欠航なのかどうなのかもわからず、とりあえず列が出来ていたので、そこに並んで待っていた。すると日本語が後ろで聞こえてきた。この男性二人は地震が起きた時に、空港内でチェックインを行う列にいたそうだ。その時の様子を話してくれた。地震が起きてすぐに、なんと航空会社のスタッフ、空港内のスタッフがみんな一斉に外に避難し始めたそうだ。中には叫びながらの人もいたという。しか乗客の誘導はなかったという。みんなスタッフが建物の外に出る後を追うように、スーツケースはその場に置きっぱなしのままで外に出たそうだ。「酷いよなぁ」と苦笑いをしている。
今思うと本当に全てラッキーだった。
これが日本やアメリカだったら、市内中パニックで、サイレンが鳴り響き、全ての交通網が止まり、身動きが取れなくなっていただろう。空港だって絶対に閉鎖で、飛行機は飛ばないだろう。
ところがフィリピンは、先ず人々がパニックに陥っていない。そして道路や橋の閉鎖とかもない。パトカーもみない、とにかく街が静かだ。そして誰もが「飛行機が飛ばないかもしれない」と思っていない様子なのである。
45分くらい外で待っていたのかなぁ?なんのアナウンスメントもなく、空港のビルのドアが開いた。
そして何事もなかったように、みんな中に入り始め、搭乗の手続きを始めたのだ。え~!?飛ぶの?飛行機ちゃんと飛ぶの!?と思ったが、私達の乗る飛行機は予定通りに出発するらしい。
そして、こんな状況の中(あっ、お土産・・・)とDuty Freeのお土産売り場に行くと、お酒の瓶やお土産のカップがすべて棚から落ちて、床に散乱して、その掃除の最中だった。しかし店はOpenのままである。Duty Freeの店員さんたちも、つい数時間前に大地震があったような素振りもなく、普通に働いている。
私達は出発の時間までラウンジに居る事にした。ラウンジもまた普通に営業している。なんでみんなこんなに「普通」なの!?
今回の青森の大地震でわかったことがある。セブ島の地震の時には何の情報もなかったことである。市民に避難を促すお知らせや、これから予測される事など、まして政府からのアナウンスメントもない。あるのは一般市民がSNSに載せる情報と、日本のニュースの動画や Yahoo Japanのニュース位だ。 もちろん翌日になれば、地震の被害などのニュースは流れたが、とにかく市民に送る避難の指示など全くなかったのである。変な例えになってしまうが、市民にしてみたら「知らぬが仏」で事の重大さを知らないので、大きなパニックが起きなかったのかもしれない。(そんなわけはないと思うが・・・)
9月に起きた大地震にしろ、10月にセブ島、レイテ島を襲ったスーパー台風にしろ、フィリピン人は汚職まみれの政府の力や国の行政の力、支援や救済を待つことなく、もくもくと自分達の生活を取り戻していく。その復興へのエネルギーには、自分達がやらなければ誰がやるという底力を感じた。