41年ぶりのセブ島 (41年前のセブ島の思い出 その4)

セブ島の旅行で忘れられないエピソードとは・・・という程大袈裟な事ではないのだが(笑)。

夕食を運んできてくれるウェイターの青年、Alex君が英語とカタコトの日本語で話しかけてきた。ハルちゃんが通訳をしてくれる。どうやら翌朝、早朝にグラスボートに乗せてくれると言っているらしい。よくわからないが、朝迎えにいくからという事になったんだと思う。

そして翌朝、早朝にAlex君は私達の部屋に迎えに来た。ドアを開けると、「えっ!?目玉焼きの黄身?」と思うようなデカイ目ヤニをつけたAlex君がニコニコして立っていた。

Aちゃんはまだ動ける状態ではなかったので、ハルちゃんと私がグラスボートに乗せてもらうことにした。

しかしAlex君の様子がちょっと変だ・・・私達を見て(まぁいいか?)みたいな態度なのである。ビーチに出ると、グラスボートが用意してあった。引潮の時間帯で、ボートが浮く水の深さまで、サンゴ礁のゴツゴツしたビーチを、このグラスボートを押していく。

Alex君は私にボートに乗れと言っているようだ。私達はボードに乗った。すると彼はハルちゃんに降りろという。そしてボートを押せと・・・私がボートから降りようとすると、君は乗っていていいと手で指示をする。私とハルちゃんはまたに、するとまた彼はハルちゃんに降りろと指示。

ハルちゃんには大変申し訳ないのだが、Alex君がそう指示をするのよ。 もう私はグラスボートの上でオロオロとするばかり。

なんだかんだと、ボートは3人を乗せてゆっくりと・・・入り江を抜けて・・・そして目にした光景!

入り江を抜けて曲がったところには、そこで生活している人達が川で洗濯ならず、海で洗濯!?

青い海、グラスボートから見えるサンゴ礁の水底、白い砂浜・・・南国ムードの素敵なリゾートだったはずが、いきなり生活感があふれる島の暮らしを見てしまった。

その後もハルちゃんと私はというと、相変わらずビーチで・・・すると今度はハルちゃんが!

真っ赤に日焼けした背中と胸元が、大ヤケド状態で背中も胸も火脹れ。もうその火脹れの大きさと言ったら半端じゃない。ブクブクとした火脹れが繋がってしまって、一面もう火脹れ状態なのである。またもや私は、うわっうわっである。

もうこんな状態でも、なんの助けも応急処置もおこなわなかった私達は、いったい何者?と思ってしまうが、マジでこんなハチャメチャな状態であった。

そしていよいよ最終日、リゾートホテルを出てから、カトリックの古い教会を観て空港が近い、セブプラザホテルという所に移動。ここで一夜を過ごし、翌朝日本に帰国である。

道路を挟んだところに大きなカジノがあるというので、最終日の夜ということもあり、せっかくだから行ってみることにした。行ったことは覚えているのだが、カジノの中に入ったかは覚えていない。でも帰り道の事は覚えている。3人で中央分離帯みたいに、小さい土手のようになっている所を歩いていた時に、ハルちゃんがズルリと滑って転んでしまったのである。あ~ハルちゃんも踏んだり蹴ったりである。最後の最後まで・・・

いやいや、これが最後ではなかったのであった。そうだよ、最終日の夜の出来事が最後じゃないのよ、このセブ島の旅。

とりあえず、セブプラザホテルに戻り、先ずは日射病(熱中症)から生還したAちゃんがシャワーを浴びた。「わ~お湯が出る!」と浴室から歓喜の叫び。数日ぶりのお湯のシャワーである。

あ~よかったぁ!!と、次は私。えっ?お湯が出てこない、水しか出てこない。ハルちゃんも水シャワーである。セブプラザホテル、お湯のタンク小さくねぇ?

まぁまぁまぁ・・・セブ島の最後の夜。明日は日本に帰れる。私達は寝た。

翌日けたたましくなるホテルの電話のベルで飛び起きる。ツアーガイドさんからだ。時計を見るとすでに集合時間である。前の晩にツアーガイドさんから「モーニングコールは各部屋に来るようになっています」という説明があったのだが、私達の部屋にはそのモーニングコールがなかったのだ。携帯電話なんて影も形もない時代、モーニングコールだけが頼みの綱。それが私達の部屋にはなかったのである。3人とも、髪の毛ボウボウのまま、慌ててロビーにおり、日本へ・・・

これが私の41年前に行ったセブ島の思い出である。そしてもう二度とこの国、そしてセブ島には行かないと決めたのであった。

その私がフィリピン人と結婚するとは、それもアメリカ、アイダホ州の田舎街で(笑)。更に彼はこのセブ島で産声を上げたというではないか!?

出会ってからずっと行くことを拒否していたフィリピンという国、セブ島という島。そこに2025年の10月に41年ぶりに行くことにしたのである。

追伸、

職場のみんなにセブ島から絵葉書を書いて、フロントに切手があるか聞きに行くと切手代を預かって、フロントの人が出しておいてくれるという・・・誰一人私からの絵葉書を受け取った人はいなかった。フムムム・・・

追伸の追伸。

スマホやデジタルカメラがなかった当時は、いわゆる「カメラ」で写真を撮る時代であった。このツアー中に、ホテルのビーチや観光で訪れた教会の回りでしきりに写真を撮る人物がいた。そしてツアーの最終日にその写真を売りにやって来た。もちろん買ってしまった。

では41年ぶりのフィリピン、セブ島はどうだったのか?気になりますか?(笑)。

投稿者: love4legkids

渡米なんて憧れの世界だと、なぜかずっと思っていた。でも来ちゃった!スーツケース1つで渡米した私は今や日本にいた年月を越しワンコと旦那君と、カナダとの国境とメキシコの国境を季節のおいしいどころ取りで生活している元気なオバチャンです。

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