昼食を終え、バスで宿泊先のホテルに着いた。ホテルの敷地内に入ると、そこは別世界であった。
微かな記憶をたどると、部屋は確かコテージ形式で、ビーチに建っていたと思う。レストランはオープンスペースで、多分これもビーチに面していたような。記憶にあるのは薄暗く、ゆっくりと天井からつるしたファン(扇風機)が回転していたこと。そして柱には無数のヤモリ。このヤモリが「モ~モ~」と喉を膨らましながら、牛のように鳴いていたことだ。
今は旅行に行くと、「美味しいものを食べる、名物を食べる」が定番になっているが、当時の日本人はそんなに「食」にはこだわっていなかったいなかったような気がする。だからセブ島に行ったら、これを食べてみたい!みたいのはなかった。食事はホテルのレストランだ。
しかしホテルの料理はというと・・・オイルがね、多分オイルが違うのよ、日本で慣れ親しんでいるクッキングオイルと。どの料理も強い香りがして、食べれなかった。ここで到着後にツアーバスが連れて行ってくれた中華料理のレストランでしっかりと食べておけばよかったと後悔したのであった。
飲み物は・・・ビンのコカ・コーラ。ストローが付いているのだが、このストロー・・・えっ?私はそんなに潔癖症ではないのだが、再利用している?確認はしなかったが、ストローがなんだかベトベトなのである。
英語が全くわからない私は、ハルちゃんとAちゃんにくっついて行動していた。空港での恐怖の体験から、ホテルの敷地から出る事はなかったのだが、同じツアーに参加していた、日本人の男性二人組から「マーケットに行ってみた?すぐ近くにあるよ」みたい事を言われたんだと思う。残念ながらこの男性二人組の方は、ちょっと私達のタイプではなく、会話もそこで終わり、その後に意気投合!なんてことはなかった(笑)。今思うと、一緒に行けば心強かったのかもしれないが、近くなら行ってみる?と3人でホテルの敷地から出てみることにした。
だが、ホテルの敷地から一歩外に出たとたん。空港でのトラウマがフラッシュバック!!!!
セブ島では、それが島の生活、当たり前の光景なのだが、何の情報もなく、日本の街、TVで観る海外の様子しか知らない私達。ましてバケーションで海外に来た私達は期待度が高かった、それがまたもやショック!
ヤギが・・・ 牛(カリブー)が・・・やせ細った犬が・・・うわっ!うわっ!放し飼い?野生?何!?みたいな感じである。道も舗装されていないポコポコの道。家だか屋台だかわからないが、大変失礼な言い方なのだが、ほったて小屋みたいな貧相な建物・・・
浅黒く日焼けした人々は何をしていたのかわからないが、ウロウロと。いやいや、そりゃいるだろう、その人達はそこで生活をしているわけなのだから(笑)。
私の記憶はそこまでで、マーケット内を歩いたという記憶がない。もしかしたら、ビビりまくって、マーケットに辿りつく前に、退散したのかもしれない。
今となっては、それが当時のセブ島に住む人たちの日常的な光景で、日本とは経済的に状況が違うが、彼らはそれなりにちゃんと生活していたわけで、チャラチャラとした20代前半のガキ〈自分たちの事ね)が彼らの生活をジャッジする権利もないし、ヒャ~っと思う事すら失礼な事である。
しかしその当時の私達には、そういう事を「知る」という事すらまずないし、なんていっても旅行のツアーに参加しているわけで、勝手にツアーの旅行には「安全」「安心」「楽しい」が付いてくるものだと思っていた。まして海外旅行だ、ワクワク気分になるはずだった。
まぁ言ってしまえば、自分たちの予習不足(フィリピン、セブ島について全く知らない状態)のせいなのだが、勝手に抱いた「セブ島旅行」の期待はだんだん恐怖に変わっていった。
しかし、さすがにビーチは最高に綺麗だった。入り江になっているので、本当にリゾートの利用者専用ビーチのようになっている。白い砂浜にヤシの木。透き通った青い海!
これよ、これ!飛行機に乗ってやって来た甲斐があったってやつ?セブ島の青い海、白い砂浜~
私たちは毎日白い砂浜に寝そべり、太陽をサンサンと浴びた・・・そして事件は起きた!
Aちゃんがダウン。昔でいう日射病、今でいう熱中症!シャワー室からドスンと音が。(ちなみにこのシャワー室、すべてコンクリート。お湯は出ず、水シャワーのみ)Aちゃんが倒れた!
でもヒドイよねぇ、ハルちゃんも私も手当をするとか、ホテルの人を呼ぶとかすることすら思いつかず、Aちゃんをベッドに運び・・・Aちゃんはそこから日本に帰るまで、ベッドで少し過ごしていたんだと思う。かわいそうなAちゃん、生きていてよかった…と今さらながらに思うのであった。
これだけではない、まだまだセブ島の旅行で忘れられないエピソードがあるのであった。