今回の帰国は、思い切って時間とお金(笑)をかけ、出来るだけ多くの友達に会うことにした。関西に居る友達には大阪で会う事が出来るが、関東出身の私の友達の殆どは関東在住である。
私は母の介護の事もあるので、いつでも日本に帰国し、必要であれば長期滞在ができるようにと、アメリカで会社を退職し、早期年金受給を選択した。
一昔と違い、私たちの年齢でもまだまだ現役でバリバリ働ける。当然の如く、日本に居る私の友達は、定年満期になるまで、あと数年あるので、ほぼ全員働いている。彼女たちに時間を取ってもらうのは週末に限られてしまうのである。
なので、週末を3回取れるように、今回は滞在中に2回東京に飛んだ。(新幹線だと時間がかかる、もう時間はお金ではかえないから少しでも効率のよい手段ということで・・・飛んだ)。
母も今年で90歳になる。サ高住に入居してからの母は見違えるように元気になったが、医者からはいつ心臓や血管が破裂してもおかしくない状態です、というわれている位の状態である。
母に何かが起きた時には、もう友達に会っている時間は取れないだろうし、それこそ母が父の元に行ってしまう日が来たら、私には帰る家がなくなるし、日本に帰る最大の目的がなくなる。もし日本に戻ってくるとしたら、旦那クンと「観光」で戻ってくるか、妹に会いに帰ってくる位になるだろう。
そう考えると、友達に会える時間が取れるのは、今回の帰国しかないのではないか?と思い、東京3泊4日と10泊11日の「自分の為の時間」を作ったのである。
今までは、若かったのもあるので(笑)無理がきいたので、Transitの為に東京に宿泊している短時間の間で、できるだけ何人もの友達に会うために、友達のハシゴをしていた。
しかしさすがに今回は一日一人(一組)と時間に余裕を持つことにした。とはいえ、欲張りの私は、今回の帰国で40人の友達に会う事ができた。
週末は予め予定を合わせてくれていた友達とあったが、ぽっかり空いた平日はどうしようかなぁと思っていると、私の帰国を嗅ぎつけた友達が、ありがたいことに、「時間あるなら会おうよ」と声をかけてくれるので、あっという間に空いていた平日も埋まっていった。
先ず最初の3泊4日の東京滞在は、私が「社会人」一年生として正社員として就職した職場の友達に会うのがメインであった。メンバーは4人。私は年齢は一緒だが、専門学校を卒業してから就職したので、他の3人からだと、2年後輩。何がきっかけだったのだか全く覚えていないが、当時から一緒に旅行したり、飲みにいったりと、気兼ねなくいられる友達である。
やはり「友達」というのはスゴイと実感した。
アメリカでアメリカ人と「友達」になるのは難しい。10年以上時間を共にした、職場の人達は「職場の仲間」であるが、「友達」とは違う。
アメリカの大学のクラスによっては、日本の大学のゼミの小型版のようなグループでプロジェクトをやる授業がある。短い期間であるが、セミスターの始まりから終わりまで同じメンバーでプロジェクトに取り込み、発表の時にはすっかりと仲良くなっている・・・と思ったのは自分だけで、新しいセミスターになると、キャンパス内で顔を合わせも結構素通りである。
以前にもBlogで「友達」について書いたことがあるが、日本に居た時は、「気が合う」とか「同じようなタイプ」まぁたまには「真逆のタイプ」とか特に意識をしていないが、気がつくと、結構行動を共にし、たわいのない会話で大笑いしたり、共感したり、そうやって自然に「友達」になっている。
しかしアメリカだとまず「日本人」というのが前提に来る。そしてお付き合いが始まったりするのだが、別に出身地が同じだとか、趣味が同じだとか、特に私たちのように子供が居ない夫婦は子育てについて助け合ったり、苦悩を分かち合ったりということもなく、共通点は「日本人」であることだけである。日本にいる「友達」とはまた違う関係性である。
私が「社会人一年生」の時に出会った友達は、考えると42年も細く長くつながっている。帰国の度に会っているわけではなく、というより私が渡米してから会ったのは、4~5回である。42年の間に4~5回しか会っていないこの友達、もうなんていうの?鶴の一声?誰ともなく、一泊二日の水上温泉旅行が決まった。やる事、やりたい事が一緒。なんのプランも立てずに始まったこの一泊二日の旅行だが、声がかれるほど、しゃべり、笑った。
なんだろう、ホッとする。素のままでいられる。ありがたいと思った。こんなに素晴らしい「友達」がいる。42年の年月のギャップがなく、あの日と同じ「友達」。感謝しかない!