母のサ高住からサ高住への引っ越しも無事に終わり、母の酷く浮腫んだ足が心配だったので、一時帰宅の間に、主治医の先生にアポをとり診察に行った。どうやらサ高住には担当の医療所又は、担当のお医者さんがいるようで、母の場合も父と共に20年以上お世話になっていた主治医の先生から、サ高住の先生にバトンタッチをする形になったのだが、これから母の健康状態を委ねる先生が・・・どうこの気持ちを表現んしたらよいのかわからないが、「年を取ってしまうと、みんなそうなるのよ」みたいな感じで済まされてしまっているように感じられて、モヤモヤ・・・
それは主治医の先生とは、定期健診の「目的」が違うのかもしれないが、このバトンタッチの際に主治医の先生は何ページにも渡る、母の情報を出して下さっているわけで・・・でも印象ではその情報をしっかりとは読んでくれていなかったのではと思ってしまうような、更に一目みて異常なくらいの足首からつま先までの浮腫みを「普通です」って・・・
主治医の先生は、薬の見直しをして下さり、血液検査、尿検査、心電図等、肺のレントゲン以外の検査もしてくれた。今度移るサ高住の担当の先生に変わって全てやってしまうとなぁ・・・と気にもかけてくれ、肺のレントゲンはまぁサ高住の担当の先生にお願いしましょうと言ってくれ、さらに1ヶ月前にもお願いしたのに、また何ページにも渡る母の情報を嫌な顔もせず、受付の人には一週間くらいかかりますと言われていたのにも関わらず、なんと翌日には仕上げてくれた。前回のコピーかなと思ったが、一から書き直してくれていた。
母は、1ヶ月ちょっとしかいなかった(入院生活より短い!)コンクリート張りの三角の部屋をやけに(ドラマの主人公のように大袈裟に)懐かしんで、スタッフの人もすごく気にかけてくれていたし、同じ階の人とも顔見知りになったし・・・と前の所に居たかったと言わんばかりの懐かしがりぶりだ。もう一度言うが、1ヶ月ちょっとの入居生活で、病院で入院していたより短期間(笑)。
さて、いよいよ母が入居する日が来た。入口から事務長さん、ケアマネージャーさん、介護担当の人たちがみなさん本当に笑顔で迎えてくれた。私も部屋まで「ご一緒にどうぞどうぞ」と行っていいという。
母は馴染みの物がすべてそろった新しい住処に、それなりにすんなりと溶け込んでいるようで、安心した。部屋に入ると、先ほど迎えてくれた職員の方以外にも、順番に部屋に来て自己紹介をしてくれる。もうWelcome感満載だ(笑)。
看護師さんも部屋に来てくれた。その際に今回検診に行った事、注意しなければいけませんと言われた事、そして母の足の浮腫みが酷くなってしまった事を伝えた。看護師さんはすぐに母の足の浮腫みをチェックしてくれて、「これはちょっと酷いかな?」といい、なんとその5分後くらいに、ここのオーナー兼担当医である先生が検診に来てくれた!すごい!すごい!早い!びっくりした。
肺のレントゲンは主治医の先生から、新しところで撮ってもらったらいいですよと言われた事を伝えたら、小さい診療所なので、レントゲンの設備がないので、次に受診するときに撮ってもらってくださいと言われた。優しい紳士的な先生だ。足の浮腫みは私がYouTubeやGoogleで検索して、マッサージをしてあげたら少しひいたようです、という話をしたら、マッサージも一回800円かかりますが、マッサージの先生が通いで来てくれますという。
実はコンクリート張りのサ高住では、マッサージ(針灸)、リハビリ等はないし、外部への通院もできませんと言われていたので、サ高住とはそういうものなのかなぁと思っていたが、ここではなんだか違うではないか!移って良かったぁ~
母も週1でマッサージをしてもらえると言ったら、「ヒィエ~」と喜んでいた。最近聞いたのだが、月に何回か整形外科の先生も巡回に来てくれて、膝の痛みを和らげるヒアルロン酸の注射も打ってもらっているらしい。
コンクリート張りのサ高住では、職員の方が練習してお芝居をしてくれるのをウナギの寝床の食堂で観たりするのが「娯楽?」だったようだが、ここではカラオケの日や、入居者さんが参加して、館内の壁の飾り付けをしたり、折り紙を折ったりと「何かやる」時間があるようだ。またケアマネージャーさんの話では、コスモス畑にまだコスモスが咲いているのに間に合えば、車で見学に行く予定をしているという。まぁこれは残念ながら雨の日が続きキャンセルとなってしまった。
私が日本にいるうちは、母と家で一緒にすごしても良かったのだが、少しでも新しく移ったサ高住で、自分の生活のリズムを作っていってほしかったので、アメリカに戻る日までの間、毎日母に会いにいく形を取った。
ある日車を停め、ふっと入口をみると、なんだか賑やか。事務長さんが笑み満面で、「今日は焼き芋の日なんですよ」という。その日はあいにくの雨降りだったが、屋根のある玄関前で、焼き芋や焼きおにぎりを焼いている!わぁ~こんなイベントもあるんだぁ~ 是非というので、私もちゃっかり焼き芋をいただいてしまった。
ここのサ高住に移って、母は今まで眠っていた才能を発揮した。
まずは新年の書初め。「迎春」と「春」という文字を母は書いた。マジ!?と思う程、達筆である。私は母が筆を持ったのを見た事がない(笑)。スゴイ!
そこから母の隠れていた才能がメキメキと姿を現したのである。
書道、塗り絵、ビーズアート・・・娘が言うのもなんだが、めっちゃ丁寧で、上手である。家族も知らなかった才能である。
どれも母にとっては、初めての体験だが、まさにこの才能・・・89歳にして目覚めた。ビーズアートに関しては、職員さんが自分で購入してきて、母に「友達にプレゼンとしたいので、これ作って下さい」と持ってくるほどだ。
このビーズアート、出来上がりを額に入れると、本当に素敵である。絵だけではなく、実用的なコースターセットとかもあり、それもやはり職員さんから頼まれたものであるという。母もみなさんに関心してもらったり、褒められたりとやりがいがあるものが見つかって良かった!妹と私は母を「職人」とよんでいる(笑)。
そして私としては何が良いかというと・・・作った作品が貯まらない事である(笑)。受注を受け、職人が作品を作る(笑)。そして作品が仕上がると、依頼者が持って帰ってくれる。
母の顔が自信に満ちた生き生きした表情になってきた。足の浮腫みも大分治まってきた。肺に水が溜まる事で起きる咳も、前は電話中にも、むせるように咳き込んでいたいたのがこのところはないような気がする。
ここに移ってきた当初は、前にお世話になった職員さんが良くしてくれたとか、少し会話をする隣人が出来たと、思わず「じゃぁ前の所に戻る?」と言ってしまうような、前の所は良かった感を出していた母だった。というのも、前のサ高住の母の部屋は3階で、3階には母のような自立した人が住んでいたのと、車いすで移動という生活だったので、食事や入浴以外は殆ど、三角の部屋にいた母は、いわゆる痴呆症が始まってしまっている人や、普段の生活や食事に介護が必要な人と会う(見る?)機会がほとんどなかったのだ。
しかし移ってきたサ高住では、部屋の出入りも自由だし、なんていうか人が行きかうのを見る機会が多い。大きな声で童謡を歌っているおばぁちゃんも居る。普段の生活にも介護が必要な人達も何人か居る。ここに住んでいる人なのに、職員さんに「今日はお部屋は空いていますか?」と毎回聞く昔は学校の先生だったという人も居る。そういう人達の中に自分が居ることに少し抵抗があるようだ。
それは今でも時々会話の中でチラリと感じられる。その度に、「ばばは私が帰国した時に、家に戻ってくればいいのよ。一人だとご飯とか食べなくなっちゃうし、お風呂とかも転んだりしたら危ないからね。職員さんもばばとは普通に会話出来るし、仕事とはいえ楽しいと思うよ」と言って出来るだけポジティブな感じに持っていく努力をしているのだ。
住めば都・・・母はとりあえず、自分の部屋は居心地がよさそうである。
冬に帰国をした時に、家に一泊、そしてホテルに二泊した。自宅のトイレにはウォッシュレットがついていない、お風呂も小さいし、湯舟は風呂おけが高くてまたげない。ベッドも腰が痛くなってしまうような安いベッドである。まぁホテルの滞在は大変心地よかったので、母は満足していた。私は夏に帰国する時は、ちょっと長めに滞在するけど、どうする?家に一週間くらい戻って来る?でまたホテルとか泊まったりする?それとも、昼間は一緒に外出して、夕飯を一緒に食べて、寝るのは別宅(サ高住)戻って、数日だけ外泊届けだして、またホテルとかに泊まる?と聞いてみた。
母はホテルは行く!行きたい!行こう!だったが、自宅に帰って来て泊まる事に関しては、ご飯は一緒に食べに行って、寝るのはここに戻って来るのがいいかな?って。
私が居ても、自宅より母はサ高住の方が生活しやすくなってきているんだ。良かった・・・サ高住が都になってきた!住めば都だぁ~
母がちょっと気にしている(?)色々な人と出会ってしまうサ高住。妹と私に出来る事は、母はまだまだイケてるぜぃと盛り上げる事である(笑)。