母には、私達姉妹が共に第2候補とした所に空きが出たので、移るぞ!と報告をした。
やっと新居に移り間もなく1ヶ月が経とうとした時であった。さらにその月は母の誕生月でもあり、館内のエレベーターの「今月のお誕生日の人」と言う所にも名前があった。毎月お誕生日の人をスタッフさんがお祝いしてくれるらしい。まぁ母はその月の半ばに退居することになったのだが、母が退居する前までには、お誕生日のお祝いのイベントはなかったらしい。ちょっとかわいそうな気がしてしまった。
契約の際に、第一希望の所が他にあり、そこにも申込書は提出してあるという事は伝えてあった。そして、入居後にもし第一希望の所に空きが出た場合は問題なく退居できますから大丈夫ですよとの承諾も得ていた。
母の退居と新しいサ高住の入居手続きは、妹夫婦がやってくれた。そして引っ越し業者さんも手配しておいてくれた。実は最初の引っ越しは、私が軽自動車で数日にわたって、荷物や家具を詰め込めるだけ積んで行った。4往復位しただろうか? 引っ越しの荷物の量は、どうみても軽トラック一台あれば全て運べる量である。軽トラックのレンタカーも調べてみたが、小さい街なので需要がないのだろう、軽トラックのレンタカーをしている所がないのである。もちろん引っ越しの業者さんも電話をしまくって、見積をとってみたが、なんだかとてつもなく高い。しかし今回は退居である。何回も行き来するのは少しバツが悪いということで、運送屋さんを探して欲しいと頼んでおいた。
義理の弟は丁度心臓のバイパス手術を受けるために入院をすることになっていた。そのタイミングでこの母の2度目の引っ越しになってしまい、妹は病院のロビーで携帯片手に運送屋さんを調べまくり、なんと!2万6千円で母の引っ越しを受けてくれる業者さんを探してくれた。
私はアドレナリンがまだフツフツと冷める間もなく、再び日本へ。母を迎えに行き、短い期間だったけど、母との別れを惜しんでくれるスタッフさんや、隣人の方が窓から手を振ってくれている。母も名残惜しそうに手を振り返している。私は母といっしょに「家」に戻った。そして私はまた引っ越しの準備の為に母が去ったサ高住に戻っていった。
業者さんが持ってきてくれた段ボール箱に全てを詰め込み、引っ越しの当日は若いスタッフさんに引っ越し業者さんの責任者の方3人があっという間に荷物を運びこみを終え(というか、しっかりと箱積みされている荷物を見て助かりますと言われてしまった。どうやら今の引っ越しは、荷造りも業者さんがやってくれるらしい)、次の新居へと向かってくれた。
あまりにもきちんと箱詰めして、業者さんが運びやすいように部屋の入口に荷物をまとめておいたのを、サ高住の事務の方が見て、「とても綺麗にしてくださっているので、お掃除料金はいただきません」とまで言っていただいた(笑)。
そして母の次なる新居に荷物が到着し、さらにビックリしたことは、引っ越しの業者さんたちがTVを接続してくれたり、家具の配置までしてくれたことだ。日本ってなんてサービスが良いのだろう!アメリカじゃ荷造りはもちろん自分たちでやり、まぁお皿の2~3枚は割れていても仕方がない。引っ越しの箱はトラックからおろしてくれるが、運ぶのはせいぜいガレージまで。あとは当然、全部自分たちでやらなければならない。なんていうか・・・かなり雑である。
三角のコンクリートの壁の部屋と比べると長方形の部屋は少し狭いかもしれないが、なんとかすべての家具をそれなりに配置することができた。
ここの良い所は、簡易キッチン、クローゼットがあることだ。そして洗濯物を干すのに十分ひろいバルコニーがあるのもプラスである。バルコニーの向こうには、新しく建ったのであろう、素敵な家が立ち並んでいる。コンクリート張りのお洒落なサ高住は、結構人里離れた(笑)、山や梅林の中にポツンと建っていたので、生活音のような物は聞こえてこなかった。そうそう更にここには湯舟とシャワーがあるお風呂がついている。
段ボール箱から、衣類や洗面用具、化粧品、ポン子ちゃん、ポクちゃん・・・すべてまぁまぁ使い勝手がよさそうであろうところに収めた。