ディサービス、高齢者住居への入居の壁(早くから介護支援サービスを受けていてよかった!)

私は介護支援サービスを受ける事をお勧めする。これは「今」は大丈夫な親と自分たちでも、ある日突然ぶち当たる「!?」となった時に大変心強いからである。そして高齢者を対象にするケアマネージャーさん達は、とにかく多くの高齢者を見ているわけだからプロ中のプロである。自分たちが知らない情報を沢山もっている。「え~そんなサービスも受けられるの!?」とか「良かった!」と思える事がたくさんあるからだ。

アメリカに住む私の友人の父親は、生まれた来た娘の顔を見る前に、というか、彼女のお母さんがまだ産婦人科医院に入院している間に、実家に離婚届を持っていって、なぜか姿を消してしまったらしい。父親を知らない1人っ子である。その彼女の母親も、今や高齢者の域に達している。しかし、母親も親戚一同も「国の世話にはならない!」と介護支援サービスを敵のように拒んでいると嘆いている。

アメリカで出産し、今では孫もでき、100%アメリカが彼女の居場所となっている彼女に、親戚一同が「いつ帰って来るんだ?」「お母さんの世話をしろ」と帰国するたびに迫って来るらしい。「介護支援サービスを受ける」=「自分たちが家族を放棄する」と考えているんだよ、と彼女は言う。そしてそう周りに思われるのはお家の恥だ!という世間体らしい。

私は声を大にして言いたい。自分の地域の包括支援センターで、話を聞いてみたらどうだろう?それから介護支援サービスを受けるか、受けないかを考えてみてもいいのではないだろうか?高齢となった両親、兄弟、姉妹が安心して生活する環境を作る事が一番大事なことなのではないのだろうか?介護支援サービスを受けたからといって、自分たちが丸投げするわけではない、自分たちと一緒に、大事な人を想う人が増えるだけなのだから。

何年前だったっけかなぁ?まだ父が健在でまだしっかりと運転でき、母も自分で買い物が行ける、まぁ普通の生活がおくれていた時に、母と町役場に行って公共の福祉のサポートについて聞きに行ったことがある。うちはこれが介護支援サービスを受けるきっかけとなった。

妹は、両親が住む町から車で1時間半くらいの距離の所に住んでいる。もちろんアメリカに住んでいる私より、はるかに近い所に住んでいるわけだが、仕事もしているし、日常的に、同じように高齢になった親を持つ友達の話を聞いたり、見たりしているので、自分の両親の老いも「普通」だからあまり心配している様子はない。誕生日や父の日、母の日などの行事の時に、いっしょに食事にでかけたりする程度である。

極度の心配性な私は、いつの頃からか両親のちょっとした変化にも敏感になっていた。そして「普通に老いていく」母が「普通に老いていく」父を一人で支えていくのに、いつか限界がきてしまうだろうと思ったので、私が帰国した時に、いっしょに町役場に行って情報だけでも得ようとさそってみたのである。

福祉課の窓口にいくと。担当は地域包括支援センターというところになるという。小さな町役場なので、窓口は同じであるが、直ぐに担当の人がでてきてくれた。

「ケアマネージャーは誰がついてますか?」と聞かれた。「ケアマネージャー?ケアマネージャさんはまだ・・・」と今回来た目的を簡単に説明すると、介護支援のサービスを受けるには、先ず介護の認定を受けなければならないという。そこで要介護または要支援と認定されると、ケアマネージャが付き、ケアプランが作成され、適応されるサービスの利用が開始されるということらしい。

父はできるだけ、私達に心配をかけないようにと考える人であった。母も表向きは父と同じような感じを装っているが、自分では気がついていないが、行動や言動から「やってもらうのが当たり前」的な姿勢がはみ出しちゃっている。なんていうか、母は「かまってちゃん」な人。自分では言わないが、周りに気づいてもらって、やってもらいたい人。そしてなんでもすぐに欲しがる。でも欲しいとは言わない。手に入るまでずっと、「あれっていいかしら?便利そうよねぇ」「あると便利よねぇ」といっている。また人が着ている洋服とかも、すぐに欲しがる。でも私も欲しいとはいわない、「そういうのがあるといいわよねぇ」と遠回しに攻めて来る(苦笑)。私も妹も、母は恵まれていると思うのだが、母は自分は恵まれていない人生を送っていると思っている。結構大変って言っちゃぁ、大変な人だ。

父に町の地域包括支援センターで聞いてきた話をすると、ちょっと抵抗はあったみたいだが、「まぁそのために介護保険料も払っていたわけだからな」と思ったよりもスムーズに受け入れ、その後、自分たちで訪問調査のアポを取り、ケアマネージャーさんがつくことになった。やはり私達に心配をかけないように、と父は介護支援サービスを受け入れる事にしたのだと思う。

よく覚えていないが、私が初めてケアマネージャーさんに会ったのは、父が要支援1だか2に認定されてからだったと思う。私が海外在中ということで、電子メールでのやり取りも快く受け付けてくれ、日ごろ私が心配している事も、しっかりと聞いてくれた。

確か当初は父だけ介護認定を受けたのだと思う。母は自分には必要がないと思っていた様子だった。父は身体的に段々助けが必要になってきたが、母は精神的にちょっと不安な所が見られ始めていたので、実は私は母の方も心配だった。

父は最終的には介護認定が要介護4にまであがったが、父が他界してからも、母はずっと要支援1のままであった。

父は要支援から要介護に支援の認定が変わった時に、地域包括支援センターの管轄からはなれ、町が認定している介護施設のケアマネージャーに変わったが、母のケアマネージャーさんは父の頃からずっとお世話になっている方が母も担当してくれていたので、家の事情また母の性格もかなり把握してくれていた。

今回、母の主治医から、母が一人で生活していくのは、色々な面で限界であると言われ、高齢者用の住居を探す件で、でこのケアマネージャーさんが本当に色々と動いてくれた。そして「お母様だと、こういう施設もあるのですが、きっとこちらの方が向いているとおもいます」とか「まだご自分で出来る事がたくさんあるので、介護のサービスがついている高齢者向きのアパートみたいな方がいいかなぁと思います」と母の性格や生活の事をちゃんと考えていてくれていたことに、本当に感謝であった。まぁそういう事も仕事の一環といってしまったらそれまでなのかもしれないが、「母」の事をしっかりと把握してくれていたことに感謝である。

ケアマネージャーさんはプロである。色々な状況の高齢者やその家族と接している。私も妹も、父、母と二人しかしらない、老いて行く両親の姿を見るのも初めて、そして行き当たる「?」は全て初めての経験なわけだから、わからない事ばかりである。そんな時に「高齢者のプロ」の存在は本当に心強い。

そして何より、ケアマネージャーさんは、母、本人の為にベストな選択を常に考えていてくれている。ありがたいことだ。

投稿者: love4legkids

渡米なんて憧れの世界だと、なぜかずっと思っていた。でも来ちゃった!スーツケース1つで渡米した私は今や日本にいた年月を越しワンコと旦那君と、カナダとの国境とメキシコの国境を季節のおいしいどころ取りで生活している元気なオバチャンです。

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