便利すぎる日本、日本の「当たり前」

日本の当たり前は世界では通用しないかもしれない。便利すぎるのが「当たり前」になっているからだ。

私はいきなり飛び込んだアメリカの街が、都会から離れた陸の孤島(笑)で良かったと思う。とにかく日本の物は何もない。というかアジアの物は手に入らない。

隣の町には大きなUniversityが2校あるので、International Studentsがいるため、アジアの食品を扱っている小さな商店が1件あったが、扱っていたのは主に店のオーナーの国の物であったし、車で2時間半かけていく、まぁ日本で言ったら「千葉の松戸」「関西の和歌山市」的な規模の町にかろうじて日本の物が買える店があったくらいだ。

なので、年に数回車で片道6時間かけてシアトルの日系スーパーに買い出しに出る。しかし日本で「当たり前」に常備していた食品、調味料、インスタント食品が高い

そして、「なんでも自分で作る」という事が私の「当たり前」になってきた。アメリカに来た当時はインターネットなんてない。というかコンピューターがない時代だ(どんな時代よ?って今の人なら思うだろう。笑)すべて想像と記憶、そして雑誌「オレンジページ」や料理本からレシピを見つけては自分で作る。

例えばポン酢、醤油に出汁を足して、ライムを絞ったもので代用。おせち料理も伊達巻、かまぼこと自分で作った方がはるかに安い。日本では「買うもの」だと信じていたデミグラスソースも缶の裏に書いてある原材料名を見て、なんとなくこんな感じ?みたいに作る。

インスタントのカップラーメンや焼きそばなんて買うのに勇気がいる(爆笑)日本での値段を知っているから、食べたいけど・・・この値段だしてまで買いたくないとなる。だから結局買わない(買わないんか~い)

そして今回の帰国、その日本の「当たり前」の「便利さ」にカルチャーショック。今頃かいな?っていうか逆カルチャーショック?私は元々日本人、日本の文化が自分の文化、日本の道徳が自分の基本、日本語が母国語、日本の当たり前が・・・え~当たり前じゃない!?日本の常識が・・・え~そうなのぉ?

あまりにも便利になりすぎた日本、自分で作るより、買った方が早いし、美味しいし、時とすれば安上がりな場合もある。でも私はここで「ちょっと待った!」をかけたいのである。そうなのである、考えちゃうのである。

寿命が延びたからだといってしまえば、そうなのかもしれないが、私はとっても若い人達の癌や難病の発症率が気になる。

明治、大正時代の事はさすがにわからないが、昭和の初めの頃に聞いたことのある、難病、特定疾患とされている病名は筋ジストロフィーや水俣病。(他にもあったのかもしれないが、昭和の初めに取り上げられていたという記憶にあるのがこの二つなので)筋ジストロフィーは優先遺伝という遺伝で起こると言わている。また水俣病に関しては明らかに水銀が原因であるとされている。

しっかりとした情報に基づいたわけではない、私の単なる憶測だが、現代に起こるALSやそのほかの難病が遺伝子の異常でなければ・・・水俣病の工場排水から流しだされた水銀のを含んだ魚を食べた事によって、人体に障害を与えたように原因となる「何か」を「いつの間にか」取り入れてしまって、それが上手に体内から排出されない場合に、人体(細胞)に障害をあたえる位の「何か」の量が蓄積されてしまったということもあり得るのではないだろうか?

農薬や化学調味料が人体に影響を及ぼす事は、もう研究済みだし、立証されている。だから「避ける」事は意識的に出来るしある程度?法律*でも私達の健康は守られている。(*日本での使用禁止とかのことね)

でももし、もしだよ、(あ~またこんなことを書くとつぶされるかもなぁ、でも書く!)インスタント食品、便利な調味料、冷凍食品、飲み物に「何か」がちょこ~っと使われていたら?1食分なら安全な量でも、それを毎日のように食べていたら?10年、20年、30年とそういう食生活が続いていたら?

また便利な食品(もうまとめてこう呼びます)がなかった時代、お母さんやお祖母ちゃんが昆布や鰹節から出汁をとって、農家の行商のおばちゃんから新鮮な野菜を買っていた時代は、今のような難病や癌を疾患する20代、30代、40代の人が居なかったような気がする。もちろん知らなかっただけかもしれないが・・・と書きながら・・・僧侶が長生きなのは・・・食事?とふっと考えてしまった。

神経質にならなくてもいい。多くの人はカラダがいらない物を排出する力がある。でもやっぱり口にするものに「そういえばこれって何が入っているのかなぁ?」とか「何でできているのかなぁ?」とか「何処で作っているのかなぁ」とか「原産地は何処なのかなぁ?」とか好奇心を養って、「健康食品」「健康グッズ」「健康サプリメント」に頼らずに、自分でこれからも健康でいられるカラダを作っていってほしいなと思う。

若い人(もちろん全ての人にもだが)が、まだまだやりたい事、希望、自分が抱いていた夢を果たせずに、今の医学では治す事ができないと医者に言われ、「治す」「治るんだ」という思いを自分の人生の選択肢から外してしまい、「今」「ある時間」「生きている証を残す」ために精一杯生きているのを知るのが辛い。本当に全然知らない人でも、辛い、辛すぎる。

これは単なる私の気持ちで、本人がやり切っていればそれは素晴らしい事である。私が勝手に「辛い」思いをしているだけで。本当に私にはわからない、私が言う事ではないのはわかっている(つもりである)。

もし今健康なカラダでも、気にかけて欲しい。毎日の生活の中でカラダが自然に健康体で居られるように。

見つけて欲しい、もしかしたら医者だけに頼らずに、自分達でも「治す」為に、細胞を「健康な細胞」にするために出来ることを。今を一生懸命に生きている中に、ちょっこっと足して欲しい。本人だけじゃなく、周りで支えている人たちにも。

おっと、またもや熱く語りってしまった。

最後に「原産国」… これも注目しておきたい。なぜならば、国によって衛生法や食品規定が違うからだ。日本が使用禁止している農薬が他の国ではまだ使われている。日本が使用禁止している顔料が他の国では何の問題もなく使われている。

例えば無農薬とうたわれている野菜でも、土に化学肥料がつかわれていれば、野菜はその土から間接的に化学肥料を吸い込んでいるわけだ。

日本は「便利」が「当たり前」になってしまっている。お店に売っているものは「安全」であると「当たり前」に思っていると思う。そして空気中に溢れ出ている情報。探さなくても目や耳に入ってくる。それが「当たり前」の普通の日常だから。

普通の日常で溢れ出てくる情報だけを鵜呑みにするのではなく、自分でも「何でなんだろう?」「何がそんなに良いのだろう?」って、ちょっとその先に好奇心の目を向けてみたら、もっとその情報が「あぁ、だからそうなのか」って納得できると思う。そしてもっと自分のため、大切な人のためになると思う。

食品に書かれているラベルだけが全てを語ってくれているわけではないが、チラリとラベルを見る癖をつけていく事も元気なカラダで居られることにつながるんじゃないかと私は思っているのだ。

投稿者: love4legkids

渡米なんて憧れの世界だと、なぜかずっと思っていた。でも来ちゃった!スーツケース1つで渡米した私は今や日本にいた年月を越しワンコと旦那君と、カナダとの国境とメキシコの国境を季節のおいしいどころ取りで生活している元気なオバチャンです。

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