もう33年前の事だけど、結構覚えている事がある。
1988年6月24日、私はスーツケース一つととオレンジのSASのでかいバッグを持って、結構野暮ったい恰好で成田空港に居た。

1年という約束と予算での渡米なので、持っていくものは帰ってくるときにすべて処理していくつもりで、捨ててもいい、流行とはかけ離れた服しか詰めていかなかった。万が一ホームシックになってしまったら・・・ということで気持ちを強く持つために、日本の曲や友達のアドレスや電話番号も持たずに、ただ一つ出発前の作った「ぶーちゃん」を一緒に連れて行った。

空港では留学ジャーナルで手続きをした人達が集合していた。私はRちゃん(高校卒業し、アメリカの大学に進学予定)とTちゃん(1年浪人し、アメリカの大学に進学予定)といっしょにLewistonという見知らぬ地に向かった。
私は年の離れたお姉さんだ(笑)しかし英語の能力からいったら一番下だ。というかマジで英語はわからない。話せない、聞き取れない、読んでも語彙がないので意味が解らない、文法メチャメチャ。なのに世間ずれだけはしているから、なんだか頼りに?されてしまっているようだ。
空港にはRちゃんのお兄ちゃんも見送りに来ていた。とても仲がいい兄妹で、もうお兄ちゃんの愛情が初めて会った私にもガンガン伝わってきた。
留学ジャーナルでの渡米の手続きの中で、航空チケットの購入の選択があった。往復か片道かだ。私は一応1年と決めていたので片道の切符となる。
私は片道の航空チケットをパスポートに挟み、留学の許可書I-20をもって出国をした。
ワクワクよりドキドキ、もう不安しかない。