後には引けない、引かない、引かせない

さて、留学先も決まりお金も収めなんだかよくわからないうちにもう出発の時が来ていた。

私は長女である。26年間親の敷いてくれたレールの上を出来るだけ上手にバランスを取りながら歩いてきた。物心ついたころからアメリカという国に憧れのような物を持ち始め、いつかアメリカに行ってみたい、英語を話せるようになりたいとボォ~っと考えていた。

高校の時に毎年夏休みにホームスティ体験という希望者が行ける企画があって、募集をしていた。私は是非行きたい!と思い親に話をしたのが高校1年の時だった。

うちの父は昭和一桁のなんていうか・・・昭和一桁の人のメンドクサイ、理解のできない頑固な所を実に上手く(笑)持った人である。女は家を守る、男は家庭を経済的に守る・・・経済成長を支えてきた組である。だからか私も妹も勉強しろとか大学行けとか言われたことがなく、まぁ学校をでたら外交官や医者の旦那様をみつけて結婚して家庭を持って・・・とそういう事を二人の娘に密かに望んでいた人である。

初めて学校が主催しているホームスティに行きたいと言った時に父はそんなアメリカの地に行って、危険が待っているかもしれないから駄目だと言って却下された。もうあっさりKOパンチをくらったってしまった感じ。

この企画は毎年募集している。私は高校2年の時にもホームスティに行きたいと頼んだ。しかし帰ってきた答えは「今の成績ではダメだ」という、またもやKO負け。でも今回は巻き返しができるかもしれない。勉強すればいいんだ!そしてチャンスはもう一回、高校3年の夏だ。

オールナイトニッポンを聞きながら、徹夜の中間、期末テストの勉強。とにかく初めて勉強をしたという実感があった。その甲斐もあり、クラスの成績発表でいつもケツの方に名前があった私だったが、クラスのTop5にまでのし上がることができた。

よし!今年はいけるかもしれない!そしてこれが最後のチャンスだ。3度目の正直で父に聞いてみた。

なんと!

またもやKO負け。高校3年で進学するのに忙し年だ。ホームスティなんて言っている場合ではない。という理由だ。

いやいやと立ち向かう事ができなかった。出資してくれる親がダメというのならダメじゃん。お金ないもん。

そんな私がある事をきっかけに「そうだ!渡米だ!」と踏み出した。25歳の秋だった。なんの為に貯めていたのかわからなかったが、貯金!そうだよ、これで夢を買おう!

親はもちろん100%賛成だったわけではない。心配なんだ。何不自由もなく、幸せになる事だけを祈って一生懸命に育ててくれた。何があってもお父さんはお前の親だからって言ってくれた。母は私を思う心配な気持ちが少しだけ私の夢をかなえさせてあげたいと思ってくれる気持ちを上回ってしまっていた。でもそれを抑えて応援してくれた。

私は1年だけという約束で、家族に迷惑をかけないよう、手続きもかかる費用もすべて自分の責任で初めて自分でガッツンと自分の人生のレールを切り替えた。

もう後には引けない!迷っちゃダメだ。ここで引いてしまったらそれこそ一生後悔しそうだ。行ってみて「こりゃダメだ」と思ったら帰ってくればいい。とにかく行ってみよう!それからその先を考えてもいいじゃないか。誰がなんていっても、取りあえず行ってみよう!

もう誰のせいにもできない。私が決めた事だ。

投稿者: love4legkids

渡米なんて憧れの世界だと、なぜかずっと思っていた。でも来ちゃった!スーツケース1つで渡米した私は今や日本にいた年月を越しワンコと旦那君と、カナダとの国境とメキシコの国境を季節のおいしいどころ取りで生活している元気なオバチャンです。

コメントを残す