私が渡米したのはJRがまだ国鉄の頃、帰国した時に自動改札がぬけられなくてオタオタしてしまった。そんな私がInternet/YouTubeのおかげで日本のニュース、特に芸能関係のニュースに大分追いつく事ができるようになった。
Yahoo Japanの記事で雨上がり決死隊が解散することを知った。彼らの番組はYouTubeで観ることができるので知っていたが、コンビ最後の出演となるアメトーークで彼らのデビューが私が渡米した翌年だったことを知った。
宮迫博之さんの一件もYouTubeで知っていたし、最近は芸人さんの裏話がきける番組があるので、なんとなく宮迫さんの性格を想像できるような気はしていた。まぁこれは本当に勝手な想像だが、何かあったら(ちょっとザマーミロだな)と思うような同業の人達もいるのではないかな?と思っていた。
いわゆる芸能ニュースやゴシップからだが、私もYouTuberになることに「え~!?」と思った一人である。単に視聴者なわけだから、私がどうのこうのと思っても何の影響もない事だが、内心それは違うんじゃないかなと思った。
それよりなりより、相方さんへの謝罪や感謝を述べている場面や記事ははっきり言ってみた事がなかった。
私は旦那君と知り合ってもう33年になるが、未だに仲がいい。なので知り合いや全然知らない芸能人でも離婚すると聞くととても残念な気持ちになる。DVとか浮気とかが原因ならばしかたがないが、性格の不一致ということで離婚する人達を見ると残念でならない。何かの縁で知り合って、この人だ!と思って一緒になったのに、その時の気持ちに戻れないものなのかと真剣に思ってしまう。
自分も大好きだった人と別れた事がある。今思うと私が相手を好きすぎて苦しくなってしまったんだと思う。私が彼を思う以上に彼に私の事を、私の事だけを思ってもらいたかった、自分から仕掛けた鎌だった。追いかけてきてほしかった。
私は布施明さんの積み木の部屋(作詞有馬三恵子、作曲川口真)の一節がその通りだと思う。
もしもどちらかもっと強い気持ちでいたら愛は続いていたのか?
雨上がり決死隊のお二人にも解散しないでなんとか復帰してもらいたかった。とても残念だた。何も知らない私が憶測だけで話してはいけない事だと思っているが、でも・・・宮迫さんがもっと雨上がり決死隊を愛していたら、というか相方の蛍原さんと一緒に仕事をしていくことを愛していたら、雨上がり決死隊は続いていたのか?
出川さんが泣いた。藤本さんが泣いた。私も泣いた。私は藤本さんが「宮迫さんが悪いですやん」って言ってくれた事に本当に感謝している。よく言ってくれた!私はもっと早く回りがちゃんと宮迫さん何しているの?自分だけYouTubeで頑張っている感だしていていいの?宮迫さんが悪いですやんって言ってあげていたのだろうかと初めて思った。
周りの人は大人だし、弱っている宮迫さんにははっきりと言わなかったのかもしれない、早く華やかな世界に戻りたいだけの焦りで自分なら出来ると、雨上がり決死隊はコンビであることを忘れ、自分が早く華やかなステージに戻りたい一心だったのではないかとも、申し訳ないが思ってしまう。
もう宮迫さんのYouTubeはSbuscribeするのをやめようと思って、Unsubscribeにするためにみたら、アメトーーク後の発信があった。
藤本さんが泣いている姿を見ても、頑なに自分の決意を曲げない姿勢で最初から最後までぶれずにいた蛍原さんが「俺は1年半泣いていたんだ」といった。相方が戻れるように、戻ってくることを信じて歯を食いしばって頑張っていたんだと思う。それが宮迫さんの隣では自分ではない人が立っている。裏切られた気持ちでいっぱいだったろうと思う。胸が痛い。本当に胸が痛い。
蛍原さんは最後まで相方である宮迫さんに恨み言は言わなかった。ただ自分達がコンビを組んで32年なのに、そんな大事な年月を33年と言われた時にこういうところ・・・と言っていた。蛍原さんが二人で大事に積みあげてきたと思ってきた年月。
私はアメトーークオンエア後の宮迫さんの動画のあの言葉が本物であることを信じたい。蛍原さんに謝ったあの気持ちが本物であることを信じたい。
単なる一視聴者だが、この二人が疎遠にならず、本当におじいちゃんになってからでもいい、いつか雨上がり決死隊として戻ってきてくれる日が来ることを祈りたい。
コンビ名のごとく、決死隊 「決死の覚悟で特殊な任務にあたる部隊」いや、「決死の覚悟で笑いを振りまくという特殊な任務にあたるコンビ」として出来るだけ早く私達をいい意味で驚かしてもらいたい。その時はまた泣きたいと思う。
私はいつから雨上がり決死隊のファンになったのだろう?ん?ファンなのか?(笑)